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本棚で眠る

リスカしている高2の日常。病んでたりします。不登校ぎみ。
2026
06,10

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2010
02,03
2/1

夢花ちゃん

そうなんだ!やっぱそれが一番だよね。励ましてくれてありがとう。


才木広之さん

本ですか?読みますよ~。だいすきです(^^)


2/2

Asukaさん

どういたしまして!
もしよかったら、またコメントでもしてやってください。
喜びますんで!


ナカバヤシ ユーキさん

そうですね…。からだの病気の入院とは大分違いますね(ToT)返信は別にゆっくりで大丈夫ですよ!無理にしなくてもいいですし(^^)


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本を送ることはできませんので
完全そのまま喋ります。行きます一日目

私たちは、毎日のように「やさしい」という言葉を使っています。やさしいかどうかは、友達を評価するモノサシですし、テレビでは芸能人が誰かのことをやさしいとほめているし、歌や小説の主人公にはだいたいやさしいところがあるのです。ケータイメールでは、顔文字つきで飛び交っているのかもしれません。きっと皆さんは、やさしさの専門家なのです。
 ところが不思議なことに、「やさしさとは、なんですか?」とたずねても、誰もしっかり答えられないのです。
「悲しいときになぐさめてくれるから、やさしい」とか「おいしい料理を作ってくれるから、やさしい」とか「ブランドの靴をプレゼントしてくれたから、やさしい」とか答えるかもしれませんが、「やさしいと思う理由」であって「やさしさ」自体の説明にはなっていません。
 「とにかくそう感じるんだから」とか「やさしくされたことがあれば、わかるはず」とかいうのも、質問の答えになりませんよ。あいまいなまま、ごまかしているのです。答案用紙に絵を描いたようなものです。
 結局、やさしさについて、だれもしらないのです。
 それなのに自分が思う「やさしさ」を疑ったことがないのです。
 もちろん、それで万事がうまくいっているのなら問題ありません。誰もがやさしくて、幸せを感じていて、笑顔で過ごしているのなら、やさしさについて改めて考える必要はないのです。
 けれども実際はそうではありませんね。
 やさしくしたら相手が怒ったり、親切のつもりが嫌がられたり、かまってもらいたいのに相手にされなかったり、そんなことがしょっちゅうなのです。世界は悲しいニュースであふれているのです。
 だから私たちは「やさしさ」について、きちんと考えてみる必要があるのです。
                    つづく

才木広之: 2010.02/03(Wed) 19:56 Edit
二日目
豪華なグラスに、毒入りワイン

 私たちは、言葉で自分の考えを他人に伝えて生活しています。
 その言葉がいい加減だと、どうなるでしょうか?
 約束も、待ち合わせも、仕事も遊びも、まるでうまくいきませんね。生活が成り立ちません。
 ですからきちんと意味を定義しない言葉には、気をつけた方がよいのです。
 「やさしい」という言葉には、この問題があります。意味がとてもあいまいで、矛盾していることもあります。「浮いた言葉」で取り扱い注意です。
 私は「言葉が浮いている」という表現をよく使います。単語というものは意味を持たなければなりませんが、「やさしい」のように定義があいまいな単語は、ふわふわと浮いて、いろんなところに引っかかって、好き勝手に意味を取るのです。単語は意味という液体を入れるグラスのようなもので、どんな液体でも入ってしまうのです。
 豪華なグラスは魅力的です。つい手が伸びますし、安物のワインも一味、二味違います。
 けれども十万円もする豪華なクリスタルのグラスだからといって、高価でおいしいワインがついであるとは限りません。そこに青酸カリが入っていたら、どうなるか・・・・。
 「やさしい」という言葉は、まさに豪華なワイングラスなのです。誰もがキラキラとした輝きに眼を奪われて、いそいそと手に取ってしまいます。
 けれど大事なのは中身です。うっかり毒をあおってしまわないように、「やさしい」という言葉の意味を、しっかり確認しましょう。
                   つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/04(Thu) 12:49 Edit
三日坊主にならないように
  やさしい人は五つ星

 私たちは「やさしい事は、いいことだ」と信じて疑いません。
 だからやさしい人は、ずいぶん点数が高いのです。「あの人はやさしい」ということになれば、星が五つつくのです。「どんな人が好きですか?」というアンケートがあると、いつも「やさしい人」は上位です。私たちは、やさしい人が大好きなのです。
 では、私たちは、どんな時に「この人はやさしい」と思うのでしょうか?「この人はやさしくない」と思うのでしょうか?。
 これは簡単ですね。
 やさしいか、やさしくないかは、「相手が私の好む態度をとったかどうか」できまるのです。
 「Aさんは私にやさしい」というなら、それはAさんが、私の喜ぶ態度、好む態度、期待する態度をとったということです。
 逆に「Aさんは私にはやさしくない」というなら、Aさんが私の好まない態度、期待しない態度をとったのです。私の期待に応えてくれないAさんは、全くやさしくない、失礼な奴というわけです。
 あなたが「コーヒーを飲みたいな」と思っている。そこで誰かがコーヒーを進めてくれたら、その人はやさしいのです。かゆい背中をかいてくれたら、やさしいのです。好きな音楽をかけてくれたらやさしいのです。私たちは、他人が自分の希望、期待に応えてくれると、「やさしい人だなぁ」とうれしく思うのです。
                  つづく

 生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/05(Fri) 12:50 Edit
無題
  よし四日目だ

 やさしさの判定は、私のエゴで

 相手がやさしいかどうかは、私が独断と偏見で決めてしまいます。誰かの意見を聞いて客観的に判断したりはしません。もっぱら自分の自我、エゴ、自己中心的な強い自意識で決めているのです。
 だから私たちは、やさしいかどうかの判断に悩む事はありません。「やさしい」「あまりやさしくない」「やさしくない」。私たちは自分のエゴで瞬時にやさしさを判定する事が出来ます。私たちが「やさしさって何?」と真剣に考えたことがないのは、その必要を感じていないからなのです。
 私たちは誰でも、社会に対しての、自分なりの「型」を持っています。その型は、「他人が自分にどのような態度をとればよいか」という自己中心的なエゴのプログラムです。その型にはまるならやさしい人、型にはまらないのならやさしくない人と、私たちは判別しているのです。
 いつも自分の要求に応えてくれるやさしい人ばかりなら、とても居心地がいいのですが、現実は違います。一人ひとりのエゴの型は、ほとんどが合わないのです。白血病の人が骨髄移植を受けたくても、白血球の型が合う骨髄提供者はなかなかいません。それと似た理屈です。
 「冷たい人ばかりだ」
 「世の中は厳しいなぁ」
 「現実は残酷だ」
 こんな声をよく聞きますが、いずれも現実が自分の型に当てはまらないという、嘆きです。

                  つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/06(Sat) 12:55 Edit
五日目です
 エゴの型が合わずに憎しみ合う

 たまたま型の合う場合にはうまくいくのです
 兄弟はだいたい自然に仲よくしています。「お兄ちゃんは、いつも私にやさしい」と、ことさら意識しているわけではないのですが、仲よくしています。それは 同じ環境で生まれ育つので、型がよく似ているからです。
 それでも兄弟の性格が合わない事はありますし、あまりにもエゴが強いために憎しみ合う関係になってしまうこともあります。
 こんな相談を受けた事があります。
 父親と折り合いが悪くて実家に寄りつかなかった兄が、父親が死んだとたんに「家も財産も、全部長男
の私のものだ」と言ってきたそうです。そごく苦労して親の面倒を見ていた弟が、「ずっと親の面倒を見ていたのは私たちだから、家は下さい」と言っても、聞く耳を持たない。「おまえは何十年も家賃をただで住んでいたではないか。本当は家賃を請求するところだが、そこまでは言わない。とっとと家から出て行け「と怒るのだそうです。病院に見舞いにも来なかったのに、葬式ではなにも手伝わずに弁当を注文して、弁当の代金も払っておけというのです。
 少しはまともなら、「私は父さんとずいぶん仲が悪かった。そんな人の財産はほしくない。弟のお前がずっと父さんの面倒を見ていたのだから、財産はお前のものだ」くらいは言うべきところです。
 せめて家族はやさしくあってほしいのですが、赤の他人ほどの人間関係もなくなって、敵同士になってしまうことも珍しくないのです。欲がふくれあがってしうと、もうぶつかり合うしかないのです。
                    つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/07(Sun) 12:41 Edit
六日目
してもらうばかりだと嫌になる

 相手が負担になるまで欲張ると、相手に対する義理が生じます。おにぎり二個、三個なら、相手も「いいよ、いいよ、お互い様だから」という感じなのですが、ステーキになると、そういうけにはいきません、こちらも何かお返しをしないと気が重くなるのです。それで自然な関係が、ギクシャクしてしまいます。自分がお返しをしたくなければ、「あっちに行け」という気分にもなります。ずいぶん身勝手なのですが。
 とくに子供は、親に対してすぐにそんな態度をとるのです。
 子供は親から限りなくやさしさを得て、無量に無限に命を助けてもらって、支えてもらって育ててもらったので、親にはお返しが出来ないのです。自分がまともな振る舞いができるなら、それは親のしつけの結果です。本人が努力して大成功しても、その土台には親のしてくれたことがあるのです。親への恩はあまりにも大きくて、返しきれるものではありません。それで子供は気が重くなって、「うるさい、あっちに行け」という態度をとることがあるのです。
 自分の部屋に引きこもって好きなことをやりはじめた子供は、母親が部屋に入ってくるのを嫌がるようになります。
 そこで母親が部屋に入らなければ「うちの母親はやさしい」ということになります。
 逆に母親が「ドアに鍵をして、インターネットで何をやっているのだろう」と心配して部屋に入ると、「勝手に部屋に入るな。パソコンに触るな。人権侵害だ」とものすごい剣幕で怒ります。まるで犯罪でも起こしたような態度をとるのです。
 あれもこれも親が上げたものです。子供には親を邪険に扱う権利はまったくありません。親には子供を監督する権利があります。それなのに子供は、自由やらプライバシーやら好き勝手にしゃべるのです。
                  つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/08(Mon) 12:58 Edit
七日目
やさしさを求めて群れをつくる

 「こんな世界は嫌だ!」と引きこもるのは、自分のエゴの型が世間と合わないことに我慢できないからです。
 「引きこもりなんて他人事でしょう」と思っているとしたら、それは違います。
 私たちは必ず何かのグループに所属していますが、これは一種の引きこもりなのです。「私たちは他とは違うんだ」とバリアを張って、似たもの同士の群れに引きこもっているのです。
 人間の群れる習性はとても強く、いつでも「何とかの会」「何とかの組織」をつくっています。群れる仲間は型が似ています。大学には勉強の好きな人が集まりますし、暴力団には暴力的な人しか入りません。面白いことに、ヤクザはヤクザなりにやさしいのです。世間と敵対しているぶん仲間意識がすごく強くて、仲間のためならなんでもやります。
 「群れる」ことは「引きこもる」ことですが、同時に「群れ以外のすべての人間を排除する」ことでもあります。
 私たちは、やさしさを求めて、内向きに引きこもり、外向きに排他的になってしまうのです。
                 
                    つづく
 生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/09(Tue) 12:36 Edit
八日目
「やさしくしたい」の下心
 基本的に人間は「やさしくしてほしい」だけです。自分の希望をかなえてくれるのが一番。他人のために骨を折るのは避けたい。できればそういうのは無視したいのです。「やさしくしたい」と考えることもあるのですが、それは相手を自分のものにしたいからです。
 人は「自分の欲しいもの、してほしいこと」に対応してもらえると、「この人はやさしい」と思います。それで高級ブランド鞄が好きな女性と付き合いたい男性は、それを買ってあげたりするのです。自分の欲を満たしてもらった女性は、高級鞄がなくては困るわけではありませんが、「この人はやさしい」と思います。そこで関係が成り立つ可能性があります。
 もちろん女性が、プレゼントをもらっただけで付き合うわけではありません。相手の性格や容姿も厳しくチェックします。別に好きな人がいれば、なびくこともありません。もらうと義理が生じるようなプレゼントなら、断ったりもします。
 そのあたりは駆け引きで、人間はいろんな工夫をします。相談に乗ったり、冗談を言ったり、十八番を歌ったり、ビールをついであげたりするのです。
 なぜそこまでするかというと、「この人と仲良くしたい」という欲を満たすためです。「やさしくして、やさしくしてもらえる関係になろう」ということです。「やさしくしたい」というのも、自分の欲を満たすための戦略なのです。
                    つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/10(Wed) 13:00 Edit
九日目
ボランティアのやさしさ

 ボランティアの人には「やさしくしてあげたい」という気持ちがありますが、相手と付き合いたいとか、仲良くなりたいとか思っているわけではありません。欲を満たしていると明確にはいえません。被災地に行って、炎天下にがれきを撤去したり、仮設テントで物資を仕分けしたりするのは大変です。ボランティアはかなり苦しいし、楽ではありません。
 ただボランティアをすることで、「人を助けてあげました」「有意義なことをしているのだ」という精神的な見返りを得ているのは確かです。それは大変なこころの栄養です。ボランティアで働く人がいきいきしているのはこのためです。この見返りがないと、誰もボランティアをやりません。お世話になっている側からの感謝がないと、あっさり活動中止になってしまうのです。
                    つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/11(Thu) 14:45 Edit
十日目
 人殺しだって、やさしくしてほしい

 人は誰でも、とにかくやさしくしてほしいのです。「厳しくしてください」という人は、一人もいません。子供は「勉強しなくても、宿題を忘れても、とにかく私を怒鳴るなよ」という態度でいるのです。いくら悪いことをしても、「親は私をしかってはいけませんよ。なんでしかるの?」と思っているのです。
 人を残酷に殺した人間でも、自分にはやさしくしてほしいのです。「あなたが人を殺したのもしかたがないですねぇ」「あなたは悪くありません」「無罪になる方法を一緒に考えましょう」とか言ってほしいのです。そう言われると大変気分がいいし、そう言ってくれる人は世界一やさしい、ということになります。「なぜ、そんなことをしたのだ」とか責められると、自分のしたことは棚に上げて腹が立つのです。
                   つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/12(Fri) 21:18 Edit
十一日目
 生きるために必要なものが欠けている
 
 結局、世間のやさしさは、エゴなのです。自分に都合がよければやさしくて、都合が悪ければやさしくない、そういうことです。それだけのことなのに、私たちは「やさしいからよい「やさしくないから悪い」と信じて疑ったことがありません。
 なのに誰一人として、自分が求めるやさしさがエゴだと、分かっていません。なぜ自分がやさしさを求めるのか知りません。生きるために何が必要か、必要をはるかに超えて自分が何を欲しがっているのか、研究したことがありません。私とは何か、誰も何も知りません。私たちは「ただ生きている」のです。
 しかし、生きるために必要なものが欠けていると、生きていけなくなります。私たちが生きるのに失敗ばかりしているのは、生きるために必要なものが欠けているからなのです。
 自分に欠けているものは、他人から得るしかありません。「生きるとは何か?」について学ぶなら、唯一この問いに正解したブッダの話を聞くしかないのです。
                   つづく
 生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/13(Sat) 16:45 Edit
十二日目
       本当のやさしさ

 
  「外から入ってくるもの」で生きている

 人は一人では生きていけません。どんなエゴイストでも一人で生きるのは無理です。ときどき「私は一人で生きているのだ」という態度の人がいますが、勘違いもいいところです。傲慢で頭が悪いと宣言しているのです。
 なにしろ私たちは、外から入ってくるもののお陰で生きているのですからね。一人で生きているどころではありません。生命は外から命を注いでもらわないと、死んでしますのです。
 そうでしょう?
 ご飯も空気も、外から入ってくるものです。肉体の維持管理には外から入ってくる物質が絶えず必要なのです。科学的に「生きるとは何か?」と考えてみれば、おのずとこの答えになるのです。
                    つづく
 生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/14(Sun) 14:28 Edit
十三日目
  生命からの刺激が必要

 外から入ってくるものは、物質だけではありません。どんな生命も、物質だけでは生きていけないのです。
 動物園の動物も、えさを与えるだけでは病気になって死んでしまいます。だから自然に近い空間にしたり、仲間と暮らせるようにしたり、飼育係が遊んであげたりしているのです。
 人間も同じです。食べ物と水と空気がなければ死にますが、それがあれば人生がうまくいくわけではありません。そこがとても重要です。
 人間には、いろんな「刺激」が必要なのです。目から耳から鼻から舌から身体から入ってくる刺激が必要なのです。
 その刺激は、他の生命からもらわないとうまくいきません。食べ物だけで十分なら森の木の下で暮らせばいいのですが、そうはいきません。木をみて、滝の音を聞いて、というのでは満足できません。身体に刺激がほしいからと言って、木に身体をぶつけても物足りない。やっぱり生命とのぶつかり合いが欲しいのです。滝の音よりは鳥の声の方がいいし鳥の声より人の声の方がいいのです。
 地震の被災者には、住むところと食べ物だけでは不十分です。やはり精神的に応援してもらうことが必要です。ボランティアの人が一緒に生活して話し相手になってくれたりすると、くるしみがやわらぐのです。
 私たちには「生命からの心地よい刺激」、やさしさが必要なのです。ご飯を食べるのでも、BGMを流して誰かと話をしながら一緒に食べたいのです。私たちが、美しい人、格好のよい人、声のよい人、料理が上手な人、身のまわりを世話してくれる人にひかれるのも、彼らが期待どおりの刺激を与えてくれるからです。やさしさは、私たちの命を支えるために必要な刺激なのです。
 「自分に心地よい刺激を与えてくれる人」は、とてもやさしい。そういう人は、自分が生きていくのに欠かせない、とてもありがたい人です。わかりやすくいえば、「やさしさ」という刺激は、私たちの「命」なのです。だから私たちは誰かと仲良くして、しゃべったり、しゃべったことを考えたりして関係ができあがるのです。
                   つづく

  生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/15(Mon) 20:55 Edit
十四日目
 「やさしさ」は必要だけど、あってはならない

 人間には、他人との関係、他の生命との関係が必要です。その関係が期待どおりなら、「やさしい」ということになります。ペットが自分の期待どおりに対応してくれるなら、「うちのペットはやさしい」ということになります。飼っている犬がまるで言うことを聞かず、顔をみると吠えかかってくるようだと、「やさしくないからどこかにあげてしまおう」という話になります。
 ところが、やさしさは必要不可欠なものであると同時に、「あってはならないもの」でもあるのです。
 それは他人に「やさしさ」を求めることが「自分の要求を満たしてくれと、他人に頼むこと」だからです。つまり、やさしさは「他人を自分のために使用する」ことなのです。
 これは、あってはならないことでしょう。
 エゴが強い凶暴な人は、自分のために他人をとことん支配してしまいます。支配者側は搾取し、支配される側は搾取されます。社会は二つに分かれてしまって、少数が満足してやさしさを味わうのと引きかえに、大勢の人が苦しまなくてはならなくなるのです。やさしさを求めるあまり、弱肉強食の世界になってしまっているのです。だから「やさしさ」は、私たちが生きるために必要ですが、あってはならないものなのです。ここに至って私たちは、全く違う次元でこの問題を見なくてはならないのです。
                   つづく

 生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/16(Tue) 21:52 Edit
十五日目
そろそろ僕の役割終わったみたい

じゃぁ

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: 2010.02/17(Wed) 21:30 Edit
十六日目
  「私」ではなく「この一個の生命」

 私たちは、弱肉強食の世界で四苦八苦しています。私と他の生命は、いつでも奪い合っているのです。「私」と「他」の対立から、苦しみが生まれているのです。
 では「私」がなければ、どうなるでしょうか?「私が、私が」というエゴを捨てて、より客観的に、より普遍的に物事をみて、「生命が」と考えるなら、これもあれもすべて生命です。そこに自と他の区別はなく、対立は生じません。
 だから心安らかに生きたいのであれば、「私」という単語をできるだけ使わずに、一個の生命として考えればよいのです。
 「生命のことはよくわかりません」というかもしれませんが、自分も一つの生命なのです。生命という視点、角度で見れば、生命として自分と他の生命に共通しているところがいっぱい見てきます。ですから、生命として自分を見てみましょう。
 「無数の生命の中で、この一つの生命はいかがでしょうか?」と。
                   つづく

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之: URL 2010.02/19(Fri) 20:14 Edit

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